貧困ってなに?

(過去の記事)

 

これは私がシェムリアップでとても頼りにしている
日本語の先生からの問いです。

貧困ってなんだ?

着る服がないこと。
食べ物がないこと。
住む家がないこと。

 

 

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でも
穴が開いた服を着て、
川を泳いでるねずみを食べて、
ハンモックに揺られて眠る。

こんな生活をしている人たちの笑顔はなんだか満ち足りている。
心が豊かだ。

 

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貧困ってなんだろうか。

学校に行けないこと。
医療が受けられないこと。

選択肢がないこと。
選ぶ余地がないこと。
知らないこと。

選択肢があっても、
それを選ぶ力がないこと。

 

たくさんの情報や機会に溢れている先進国にだって、
選ぶことを知らずに生きている人がたくさんいる。

日々現状を疑うことなく受け入れて、
なんとなく過ごすこと、

今より良い現実を常に追い求めて、
考えて過ごすこと、

途上国だって、先進国だって、
どこにだって貧困は存在する。

着る服があって、
食べ物があって、
安心して眠ることができる。

学校に行けて、
病気になったらお医者さんに診てもらう。

もしもそれが当たり前だったら、
どんなにそれがありがたいことなのかって感じることもできなくなる。

 

「ありがとう」を感じられる範囲が狭まるのは悲しいな。
それが心の貧困。

 

 

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アフリカ大陸サハラ以南の特に貧困と言われる地域は、自殺率が低いらしい。
反対に自殺率が特に高いのは、ロシアなどの急に経済成長を遂げた国や
先進国と呼ばれる国。

自分が恵まれていることに気付かずに
不幸だって思って死ぬのは悲しい。

 

ちなみに私がいるカンボジア、

日本に比べたらはるかに不自由なこの国の自殺率は日本の4分の1だって。

 

参考資料

自殺の統計 – 内閣府

図録▽自殺率の国際比較

 

 

ここでは自分が命を絶つことで、他の誰かを幸せにできるわけじゃないから。
困ったときは家族や親戚、近所の人が助けてくれる。
助けられることを恥ずかしいとも思わない。
自分が死んだら家族を守れない。

自分が生きてさえいれば、他の誰かを助けることができる。

 

こんなカンボジアの人たちの人付き合いを見ていると、
日本も遠い昔はこんな風に人を思い合って生きていたんじゃないのかな、
って思うことがある。

 

一面緑ののどかな風景は高層ビルに変わり、
今月家族がおなかいっぱい食べられるかなっていう心配は
どうやったら政府に払う税金の金額を抑えられるかな、に変わった。

 

 

もしかしたら私がやってるちっちゃなちっちゃな行動は、
自分の心を豊かにするための行動なんじゃないかと思う。

この行動が誰かの生活を救うなんて今はとても考えられないから。

 

でも巡り巡って
私と一緒に幸せを感じた人が
他の誰かを幸せにしていたらいいと思う。

そんな強い豊かな心を磨いていきたいです。

 

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