(過去の記事)
カンボジアのシェムリアップで『ティスタ』という教育支援事業を展開しています。
事業の一環として、小さな村やNGO施設などの”学校という施設があり、机と椅子もあるのに先生がいない学校”で英語、日本語、音楽を教えています。
カンボジアは主要産業が農業を除くと観光業ということもあり、英語を始めとする第二言語や第三言語の習得がとても活発です。お金を払って行くような語学学校もあれば、無料で勉強できるフリースクールも数多くあります。私はシェムリアップ市内から少し離れた村のフリースクールと、孤児院のようなNGO施設で先生をしています。
カンボジアで先生をしている人にとってはおなじみかもしれないですが、こっちの子どもは教師のことをファーストネームもしくはteacherのcherをとって「チャー」と甲高い声で呼びます。あんまりにも毎日「チャーチャー」言われるので、耳から離れません。
さて、私が初めてカンボジアの生徒たちの前に立ったときの話になります。
丁度7月だったので七夕の授業をしました。
「おりひめとひこぼし」の物語を読んだあと、短冊にそれぞれの“夢”を
①クメール語
②日本語
③英語
で書きました。
みんな何て書いたと思いますか?一番多かったのは、先生です。英語の先生や日本語の先生。続いてお医者さん。それからツアーガイド。30人ぐらいいる子どもたちの夢はほとんどこの3つに絞られます。なぜでしょうか?
子どもは近くにいる大人の背中を見て育ちます。町から離れた村では働く場所も多くありません。知っている職業といえば、このくらいなのでしょう。
これは発展途中の国に限られたことではないです。
例えば、アメリカではNASAなど、宇宙に関係する職業に就きたいと考える子どもが多いようです。大学でも航空宇宙工学は人気の学部です。
それに比べて日本にはそのような子どもはほとんどいないし、大学で航空宇宙工学を専攻している人にはなかなか会いません。残念ながらNASAのスペースシャトル計画は2011年をもって終了してしまいましたが、アメリカの子どもたちは小学生のころから理科で宇宙のことを勉強します。TVのニュースでも宇宙のことや宇宙飛行士のことがよく取り上げられます。
子どもが抱く夢って、自分のいる環境からの影響が一番大きいのでしょう。町から離れた小さな村で生活する子どもの目に映るのは学校の先生やお医者さんといった身近な存在。そしてアンコールワットのある町ということで、この町一番の花形の職業といえばなんといってもツアーガイド。
「隣のお家のお兄ちゃんがかっこいい車に乗っている。そのお兄ちゃんはガイドさんとして遺跡を案内しているんだって!」
私たちが『ティスタ』でできることがこの事実から浮かび上がってきたような…。
私たちには、子どもたちにもっともっと沢山の、”将来の選択肢”を提示することができるのではないだろうか?
多くの出会いは子どもたちにとって、未来を切り拓く財産であるだろう。
ともあれ、子どもたちが将来、自分の足でしっかり歩いていけるような大人に育つように、身近な大人として、真似されても恥ずかしくないような生き方を見せていかないとなと、ピリッと背中が伸びるような気持ちになりました。
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