その目は何を見つめているの

(過去の記事)

 

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オーストラリアの中部ノーザンテリトリー州に、

いくつかの“世界一大きな教室”と呼ばれる学校があることをご存知ですか?

 

実際にはSchool of the Airと呼ばれる、衛星を使った学校です。

オーストラリアの中部の家庭に点在して住む子どもたちのために、小学校から高校までの教育を提供します。

広大な赤茶色のその土地には、町はおろか、学校まで遠すぎて通えないため、

衛星で学年ごとの授業をそれぞれの家に飛ばして、

子どもたちは家にいながら授業を受けることができます。

月に一度ほど、スクーリングの日も設けられて、生徒同士が顔を合わすこともできます。

狭くて便利な日本にいたら、学校まで行くのに一日かかるなんてこと想像したこともなかったですが、オーストラリアのように大きな国にはそんな学校が必要なのかと驚いたと同時に、

先進国だからこそなせる技だなと思ったことがあります。

 

 

 

 

 

 

ほっとかれれば、誰にも気付かれない村や集落っていうのが、この世界全体にはどれくらいあるのだろうかと思います。

 

シェムリアップから出る観光のひとつ、東南アジア最大の湖トンレサップ湖に浮かぶ村のすぐ手前にPhnom Krown(クラウン山 ※Phnom Phen(プノンペン)のPhnomはクメール語で山という意味です)という小さな山があります。

山といっても標高133メートルの、階段で登れるくらいの、エアーズロックぐらいの山です。(あれはひとつの大きな岩ですが)

その山の周りに観光客や政府が全く気にも留めない村があります。

田舎から出稼ぎにきた家族が小さな家を建ててひとつの村を作っています。

 

家といっても、私の目にはもうおなじみの、木の骨組みで、竹が敷いてあって、やしの木の葉っぱが編みこんであるような…

でも私が知っているものよりもさらに小さな家が並んでいます。

たまにあるにわとり小屋と、人の住む家がほぼ同じ大きさなんじゃないかってぐらいです。

そんな家に、一家族が一緒に暮らしているんです。

そんな家族がたくさん集まって、ひとつのコミュニティを作っているんです。

 

学校に行っている子どもはほとんどありません。

病院に行ける人もほとんどいません。

遠いから。

 

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だけど、最初にその村に入ったとき感じたのは、みんな幸せそうだな、ということでした。

家族で一緒にいられることって幸せなことなんだな、と感じました。

私のような外国人も、怪訝な目を向けることなく、自然に受け入れてくれました。

後ろめたさを感じているのは私だけなのかな。

自分の方が幸せな生活をしているって勝手に決め付けてるのは私だけなのかな。

 

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これらの家族は、農業をしたり、船を造ったり、湖にたくさんある睡蓮の茎を干して鞄やボトルケースを作ったり、お土産やさんで売っているようなブレスレットを作ったりして生計を立てています。

 

ここに住む子どもたちは、すぐ隣にいるような大人になっていくのかな。

自分の将来の可能性にどきどきしたりすることはあるのかな。

少なくとも学校に行って、もっとずっと広い世界があることを知ってほしいな。

ここに連れてきてくれたNGOのお母さんもきっと同じことを考えているんだろうな。

何とか、NGOの学校にここの子どもたちを連れてこられないか、ということを話しました。

 

 

NGOのお母さんとティスタと協力して、

前回の記事で取り挙げた村と、今回の集落を訪れるツアーを作りました。

saki25teasta.hatenablog.com

お母さんの案内で、旅行客の絶対訪れないカンボジアの家庭を訪問します。

感じ方は人それぞれ違うと思います。

でも、何かしら気持ちの準備をして訪れることで、残るものは大きくなると思います。

自分との比較、他の貧しい地域との比較、何でもいいと思います。

まずは知ることが大切だと思っています。

 

 

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