命をかけて我が子を守っていく
この子に会うために自分は産まれてきたんだ
誰もが思うことなのでしょうか。
どんな子どもに育てたいか
どんな親になりたいか
親とはそんなことについて考えながら生きているものなのでしょうか。
誰もが誰かの子どもだから、子どもの頃感じた親との関係の上で、親になった自分を考えるんだと思う。
両親への尊敬の念と、反面教師の面。
母と子は、子がこの世界に産まれた瞬間から、別の個体として存在することになる。
ゼロの状態の赤ちゃんのお世話をしていると、”自分がいないと何もできない可愛い我が子”になるのかもしれない。
だけど多分、子どもは、親が考える以上にあっという間に大きくなる。
自分自身の判断軸を身に付けて、子どもは親が思う以上に速く大人になっていく。
親の方がそのスピードについていけずに、いつまでも子どもは子どものままだと決めつけて接していると、大人同士の関係は、いつまでも築けるわけがない。
子どものことを信じられず、親である自分が導いてあげないととか、
子どもの決めたことは間違っているから、親である自分が正してあげないととか、
いつまでもいつまでも子どもを信じられない親。
その子どもは、親に本音を話せば、きっと否定されるだろうと考えるようになる。
その結果、相談したいときに相談できる一番近くにいる大人を失う。
親と腹を割って話しをしたことなんてないまま、子どもは親になってしまう。
子どもは取るに足らない存在だから、親である自分のプライベートな話は秘密にしておこうと、
自分の生い立ち、歩んできた人生、選んだ仕事、働く姿について、頑なに隠されることで、
子どもは自分の将来が想い描けなくなる。
何のイメージもないまま歳だけを重ねてしまう。
親が押し付ける理想の子ども像の中でしか、選択できなくなる。
”後悔のない人生”なんて、口が裂けても言えない。
後悔の海で溺れそうだから。
同じような想いだけはさせたくないと、心から思う。
何とか、人を安心して信頼できる、強くて柔軟な心を持ち、悔いのない人生を送ってほしい。
そんなに上手くはいかないのが現実だろう。
だけど日々の忙しいさで、どうか見失わないように、忘れてしまわないように。
覚書のようなものです。
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