誰もが突然親になる。
カンボジアで100人以上の子どもたちと日々を過ごして、その子たちの親とも関わっていく中で、誰もが不完全な親だけど、一生懸命親になろうとしているということを知った。
見よう見まねで母国語のクメール語を教えようとするお母さん。
呑んだくれの夫を抱えて毎日市場で働くお母さん。
小さなNGOの経営に奮闘し、子どもにより良い未来を提供しようとするお母さん。
どのお母さんもどの親も、不完全だけど子どもにとっては世界でたった一人の大切な存在。
それは私にとっても大きな存在だった。
このお母さんたちの姿を見るまでは、自分は親にはなりたくないしなれないと思っていた。不完全な人間が、人を育てるなんて出来ないと思っていた。
でも完全な人間になる日は来るのだろうか。
私はきっと死ぬまで不完全な人間だろうと思う。何歳になっても現実の自分が理想の自分を追いかけ続けるのだと思う。
そうなったら親になんて一生なれないぞ?
でも親というのは誰もが初心者から始まる。
一人目の子を持つ母は、誰もがお母さん1年生。
毎日子どもと向き合い、昨日より今日、今日より明日と奮闘する。
子どもが日々小さな成長を繰り返すように、親もまた子どもと共に親として成長していく。それでいいし、それしか方法はない。
だから不完全だけど、支え合いときにはぶつかり合いながら成長していく。
私がカンボジアで見ていたお母さんたちのように、私もまた、全力で子どもと向き合い親になっていこうとしているのだ。
母親は9か月間、自分のお腹の中で子どもを育てるとはいえ、出産したときに初めて親になる。もう本当にその一瞬で母になる。父親なんて9か月の準備期間すらなしで、突然親になる。
(出産直後の分娩室で、出産に立ち会った夫は友だちに電話したり、その日の野球(プレミア12の決勝戦)の結果を気にしたりしていて、出産を終えて我が子との初対面にただただ感動していた私は、子ども以外のことに関心がいくその神経が理解できなかったけど。それぐらいの男女の差はどうしても仕方のないことなんだろう。)
1年前にはそんな未来想像もできていなかったのに、1年後には家族が1人増えた生活が始まる。この変化とは想像を超えた劇的な変化だ。
心構えはしているにしても、突然始まる母としての生活はこれまでの人生を180度変える。
これまでは自分が人生の主役だったのに、出産の瞬間、私の人生の主役は今までお腹の中にいた我が子にその座をとって変わられる。
抱っこの仕方、おむつ替え、沐浴、授乳、寝かしつけ、その他ありとあらゆる赤ちゃんに関することを、一瞬で身に付けて、我が子が要求に応えることの繰り返し。
親になることがどこか夢の中の世界のように感じていたそれまでは、産後うつ、育児ノイローゼ、幼児虐待なんてそんなことが現実に起こるなんて信じられなかった。
なぜなら赤ちゃんましてや”自分の”赤ちゃんの可愛いこと極まりない…!!こんな存在を目の前にして赤ちゃんに対してどうやってネガティブな要素が発生するの?!
可愛くて仕方ない我が子を目の前に、この子にイライラするなんてあるわけがないと思い続けていた私も、1,2か月を過ぎるとたまーに、本当にたまーに…なかなか寝付かないで大きな声で泣き続ける我が子に対してイライラしてしまう。
自分ももう寝たいのに、何をやっても泣き続ける赤ちゃん。手に負えなくなるときもある。
やっぱり私は不完全な人間だ。
とことん落ち込んで、夫に「今日こんなことがあって、イライラしてしまいました。」と吐き出して、やっぱり可愛くてたまらない我が子に癒してもらって、また気持ちを新たに子育ての日常を繰り返していきます。
誰もが突然親になるから、そんなすぐには完璧な親にはなれないけど、子どもと共に、一歩ずつ。
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