続けること、走り続けること。|カンボジアで教師をしていて考えること

カンボジア

自分の心に素直に従って、行動に移している人のことばには、魂が込もっている。

ことばのあちらこちらに学ぶべきことが見え隠れしている。

それを生かすも殺すも、ことばを受けた人次第。

ことばや感情は、無限の伝道師。

教育の難しさを感じた。

植物は1年もあれば、根を張り、芽を出し、花を咲かせて実を生らせる。

私が1年もかけて見てきた子には何が実っているのか?

数ヶ月前に始まった畑からはきれいに揃った芽がもう出ている。

棚には青々と葉っぱが茂って、果実を実らせている。

私何をやってきたんだっけ、と何か形に残ったものを探すけど、そこには何も見えないんだよ。

ちょっと離れていた隙に、そこには何にもなくなっちゃいそうな状態に、簡単に陥ってしまうんだよ。

植物のサイクルが1年だとしたら、人間は20年?80年?いや100年?

そんなことに気付いてしまって、そんなことに足を踏み入れようとしている自分に気付いてしまって、気が遠くなるのかと思いきや、意外にもそこにちょっと誇りを持ち始めている自分もいたりして…

そうなんです、ティスタに巡り合ってくれる人たちが素敵すぎて、

私はその素敵な出会いの一つひとつから、本当に沢山の、新しい世界に出会う。

そして、自分の中にある知らなかった自分に出会っている。

時として、その自分に問いかける。

「その覚悟は本当にあるのか?」

いつだったか、誰かに言われたことがある。

「教師に必要なのは、忍耐だ。」と。

その通りだと思う。

向き合った子どもの中に眠る花は、季節が巡ってきたからって咲くわけではない。

それぞれに合った言葉や人、環境、様々な要素が組み合わさって、ここぞというタイミングで忘れたころに咲くんだろう。

そこまで忍耐強く待つことが求められるんだよ、ということだ。

教師に限ったことではないとも思うけどね。

どんなことだって、続けることで、それまで見えなかったことが見えてくることがある。

そこに意味や価値を見出すことができるものなんだ。

I am the master of my fate: I am the captain of my soul.

(私は我が運命の支配者、我が運命の指揮官)

私が、尊敬する人に関わりのある言葉。

そう、誰もが自分の人生と向き合って、自分自身の花を咲かせる指揮官なんだ。

だから、10年20年…80年100年。

時には大きく方向転換する必要に迫られることもあるだろう。

そこにはぞっとするほど大きなエネルギーを費やすことになるかもしれない。

それでも逃げないで、

続けるんだ。嫌というほど向き合って、人生の最後の1秒まで、走り続けるんだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました